Maniaがなぜ念願だったかの話。

念願だったSnow Man のコンサートに行った。

 

その感想を綴りたいと思ったけれど、なんせ彼らと私の間にはめちゃくちゃ短い間にめちゃくちゃ色んな思い出がある。せっかくの機会だから、このはてブでは私のSnow Man担としての短いながらの歴史を振り返ることにしよう。

 

※卒論?ってぐらい長いので、普通にMania感想はてブ読みたくて来てくださった方は次の記事を読んでいただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月8日

 

東京ドームが歓喜と困惑にどよめいたあの日、私は 少年のタオルを肩にかけて会場にいた。ジャニーズの歴史年表があったら必ず記されるであろう歴史的な空間に立ち会えたこの経験は、私のオタク人生の中で本当に光栄で、素晴らしい財産だと思う。でも、当時は総勢330人の豆粒みたいに小さいJr.が次々と出てくるのを、ただひたすらに双眼鏡で追いかけるのに必死だった。自軍の 少年を見失うくらいにはなんていうか、難しいコンサートだった。だいぶモニターに頼ったのを覚えてる(笑)

 

 

その頃の私は彼らに対して「いわふかが好きー」程度、現場に足を運ばないくらいの熱量だった。増員に関しても正直 "他人事" だった。

Sexy Zoneだって衝撃のメンバー選抜でそのままいきなりデビューしてるし、ジャニーさん(今回はタッキーだけど)また常人には分からないような発想でやってんなーみたいな。大変そうだなとは思ったけど。

渡辺翔太に「なめんなよ」って言われそう(笑)でも普通に当時のスノ担には謝りたい。ごめんなさい。

 

 

 

 

そんな私に転機が訪れる。

 

 

 

 

 

 

Snow ManSixTONESを除くジャニーズJr.が次々と登場し、数曲披露した後にモニターでSnow Manが華々しく紹介された。そして、Make It Hotのイントロと同時にセンターステージから登場したSnow Man

 

私の知っている、どちらかと言えば舞台とか先輩のバックとか”職人Snow Man”じゃなかった。(そりゃ現場に足を運ばないから知らなかっただけなんだろうけども。)

初めて生で見たアイドルとしての前面に立つSnow Manは、当たり前に想像を超えてきて加入後すぐの危うい時期とは思えないどっしり感があった。オリジナル曲に合わせたダンスパフォーマンスがシンプルにめちゃくちゃカッコよかった。「えっ」て思った。

 

 

 

いわふか見るかーって双眼鏡のぞいた時、なんだか頑張って踊ってる金髪の男の子がいた。当時の村上真都ラウールだった。(なんか今この字面見るとじわる)(こら)

”頑張って踊ってる”のが双眼鏡越しに分かる感じだった。今でこそ彼のダンスはスキル・表現力共に認められているけれど、その時は上手い下手とかではなくて、とにかく必死な姿が印象的だった。

 

そんな彼へのイメージは「加入組の中でも特別イレギュラーな忍者出身のハーフ」「若い子」とか言う、物珍しさの塊だった。それは決して物珍しさなんかじゃなくて、カリスマ性なんだと気づいたのはその数十秒後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

踊り明かそう

 

So Everybody scream!!

Give me one more time

ようこそParadiseへ

誰も邪魔できない


So make it hot tonight

 

 

 

 

 

 

そのオーラと気迫に圧倒され、当時まだ16歳の瞳が作る表情に魅了され、衝撃が走り、困惑し、ぽかーんとしたのを覚えている。変な話、本当にその"瞬間"を覚えている。

 

胸が熱くなって、自分の領域内の空気が変わるのを感じた。血が巡るのを手先まで感じて、しびれたような感覚になって、両手で双眼鏡を握る手が震えた。まじ?って思われそうだし、これがうまく表現できているのかはわからないけど、あの時の感覚は今でも鮮明に、本当に鮮明に思い出せる。

なんせ私にとっての彼は物珍しさの塊だったから、アッという間の衝撃は今でも頭の中に強く残っている。これまできっかけこそあれ、沼落ちする瞬間をこれと断言することがあまり無かったから、「あ、今私…」を現場で、初見で、気づいた時しばらく動けなくなるくらいに拍子抜けした。

 

 

 

ただ、その場の空気と興奮で「ラウールやばい!」ってお姉ちゃんの耳元で叫んだ記憶がある。そしてMake It Hotからしばらくしても、無意識にラウールを追っている自分を自分で整理するために「やばい、ラウール、やばい!」とかいう最低の語彙力でいちいちお姉ちゃんに報告していた記憶もある。お姉ちゃんも覚えてるよね?(笑)

 

 

 

 

この日の記憶は話すと本当に長くなるからあと少しだけ。

 

運命のデビュー発表の瞬間、忘れられない景色が2つある。1つはモニターにひとりひとりの顔が映し出されたときのラウールの表情。他のメンバーが感謝や覚悟を多く映していたのに対して、彼のまなざしからは不安や恐怖が全面に感じられた。感覚的に「あっ守らなきゃ。」と思った。何様だよって感じだけれど、私は生粋の日本人アイドルオタクだから、そんな16歳の身にのしかかっている計り知れないプレッシャーを見た時、そう思わずにはいられなかった。私があなたを応援するんだって思った。

 

ただ、のちの1万時インタビューで、ラウールはデビューを告げられたことに対してこう語っている。

 

 

 

 

もう1つの忘れられない景色、それは左3列前にいたSnow Manのタオルをかけた2連のおねえさんの背中。ずっと震えていた。これは当時まだスノ担とは言えない私だからこそ感じた不思議な感情だったと思うし、ブログにおいてふさわしい表現ではないんだろうけど、本当に言葉にできない気持ちになった。嬉しいのか悲しいのか分からなかったけど(きっとおねえさん達もわからなかったと思う。)Lock on!!が終わっても、Fire Beatが終わっても、震え続ける肩を見た時、デビューって本当に簡単な事じゃないんだなって思った。これまでデビューを見届けた経験がない私からしたら、デビューが少し怖くなった。でもこの経験があったからこそ、私は今「 少年をデビューさせたい」と強く思い応援することができている。私もいつか肩を震わせながら見送ることができるくらい、Jr.の彼らを後悔の無いように全力で応援するんだ。(脱線しました)

 

 

 

 

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あと少しとか言いつつ長々と話してしまった上に脱線事故起こしてすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年8月21日~9月13日

 

衝撃と激動の8.8から2週間後、私は短期留学(ほぼ旅行?)のため日本から約8000km離れたカナダに旅立った。

 

この3週間は私にとって本当に大切な期間だった。情報をかき集め、コンテンツを漁り、沼にどんどんハマっていくこの過程はオタクなら誰しも経験があると思う。恋愛で片思い中が一番楽しいのと同じように、オタクではこの時が一番純粋で楽しいのではないかと自論している。

 

 

 

一方この頃Snow Manは”Summer Paradise2019”というまたもや尊い夏の公演をTDCで行っていた。ラウールに沼落ちしたかもしれない(実際はもうしてたと思う笑)気持ちを抱えたまま旅立ったわけだが、それを確認したいもどかしさはとてつもなく離れている物理的距離が諦めさせてくれた。その代わりにグッズは代行してもらって買ったし、生配信をお母さんに送ってもらってリアルに2週間で30回以上は見た。

 

でもさすがに、ホストマザーに借りたWi-Fiを使って毎晩のようにスノtubeと生配信を見る事になるとは思わなかった。せっかくNetflixをシェアしてくれて、さらにおすすめの洋画を教えてくれたのに結局1本しか見なかった事は、絶対にホストマザーには言えない。ここで謝ってもしょうがないけれど、ごめんなさい。

 

 

 

 

 

当時スノtubeをほぼ1本も見ていなくて*1、1本目から最新まで約80本あったが、それがなんだか嬉しかった。カナダ滞在中には見切らないだろうと思っていたのに、毎日2~3本ずつ見てたら、あっという間に最新までたどり着いてしまって、それがなんだか寂しかった。あんなに水曜日が恋しくなったことは無かった。そういえば、ラウールへの想いを抱えていた私が完全にスノ担になったのはこの時期だから、Youtubeがなかったら今の私はいないと思う。そういった意味でJr.チャンネルは本当に大切なコンテンツだったと改めて感じる。

 

 

 

 

 

語学や文化の学びはもちろんあったけれど、カナダで過ごした3週間を思い出すと、好きがどんどん募ったこの大切な期間も必ず添って思い出される。好きになり直すことはいつだってできるけど、初めて好きになることって1回しかできないから、あの頃の思い出は私にとって抱きしめたいくらいくらい尊くて大切なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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どこだよっていう(一応カナダです笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

帰国

 

9月13日、あたかもはじめからスノ担でしたみたいな顔をしてカナダから帰国した。周りには「いつの間に(笑)」「え、ラウール!?」と言われたけれど、正直そんなことはあの夏に自分で驚き済みですって感じだった。3週間の沼落ち生活を経て完全にスノ担になっていた私は、周りに違和感を抱かれている事にむしろ違和を感じていた。超強気で草。留学中の私の親しい友達ストーリーズを見てた人にすら、「ラウールなんだね~」って意外そうに言われた。

 

でも別に嫌だったわけではなくて、みんなのこれまた物珍しそうな反応が楽しかった。だってジャニオタの世界にはいつどこに沼があるか分からないから、その沼にまんまとハマった自分のことを客観的に見たら面白かったし、そんな風に言っているあの子にも訪れるかもしれないその瞬間を想像したら、めちゃくちゃ面白かった。実際にあの時へぇ~って反応をしていたお友達が今元気に深澤担をやっているのを見るから、オタクって本当に愉快(笑) 心の中で「ほら見たか」ってニマニマしてたのは内緒にしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少年たちTo be!

 

Snow Man名義はおろか、ラウール名義なんて一つも持ってなくて、少年たちのチケットは当たり前に手に入らなかった。楽しいことばかりでないスノ担人生が始まった最初の出来事がこれだった。あまりにも勢いよく、そして急激に好きになったものだから、お得意の”現場主義”がこれを許さなかった。

 

 

 

たくさん病んで、毎日のようにチケ流を覗いた。「払えなくない値段だし積んででも行きたい自分」と「見ず知らずの人に〇万も払うなんて悔しくて許せない自分」がこれまでで一番衝突した時期だった。結局周りの人に助けてもらいながら積みはしなかったけれど、人生で初めて詐欺られた(小声)

 

詐欺師が全面的に悪いのは前提として、騙されちゃう人のことを正直「いや明らかに詐欺だって分かるでしょ」と馬鹿にしていたから、正常な判断ができないくらい相当頭やられてたんだなって思った。レベルアップだドン!

それでも未練たらたらでグッズを買いに行くためだけに東京に行こうという思考回路に至った。駅に向かう車の途中で売り切れ情報を見て、往復2万かけて行ってもお目当てのものが買えなかった時の馬鹿馬鹿しさを思って結局引き返したけど(笑)*2

 

そういえば当時一度も会ったことのない渡辺担のお友達がラウールのグッズを定価代行してくれて、それに本気で救われたな。こういった縁にはいつも心から感謝をする。その子にも、推しにも。ありがとうね。

 

 

 

 

 

 

今だから思うのは、この少年たちはSnow ManSixTONESが積み重ねてきた集大成だったから、彼らのこれまでの歴史を共にし私の知らなかった彼らを支えてきた、そんな人がたくさん居て観に行ってたんだろうなってこと。悔しいけど、明らかに新規だった私が積んでまで入る必要はやっぱり無かったなって、今は思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決してマネしないでください

 

ラウールから放たれる輝きと圧倒的なオーラ・カリスマ性に惹かれた私が、ラウールのことを「ラウちゃん」「ラウぴ」と言ってとにかく愛でるもう一つの推しスタンスを確立するようになったきっかけが、このドラマだった。

 

スノtubeでは最年少ということで、周りのメンバーからひたすらに「かわいい」と言われるラウールのことも、もちろん見てきた。しかしこの頃はまだ私の中のラウールの推しポイントは、8.8の現場の記憶のみにあるようだった。そんな私だったが、ドラマ中の”垢抜けできない理系男子”というキャラクターや素朴でちょっぴりダサいファッション、そして無垢な笑顔に「ラウールはかわいい」の感情が爆発した。

 

そしてこのドラマ後、私は数えきれないくらいこう思うことになる

「ラウールは天使」だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャニーズJr.チャンネル卒業とSnow Manの個人チャンネル開設

 

当時何かと対で動いていたSixTONESがデビュー発表と同時に個人チャンネル開設を発表していたからいつか来るとは思っていたけれど、それは突然発表された。Youtube FanFestの裏側密着動画の最後に、いわふかに挟まれるラウールの図で、深澤さんが「ここで重大発表があります...」と。その瞬間から涙が止まらなかった。

次回を以て卒業とかいうもんだから、さすがに参った。いつかは卒業すると察した時から心の準備をしてこなかったのを後悔した。

 

 

 

でも当の本人たちはおもしろ可笑しくそれを伝えてくれて、Youtuberだな、エンターテイナーだな、アイドルだなって思った。それでも泣いたし寂しくて寂しくてしょうがなかったけれど、ふっかが「最終回は長編だから楽しみにしてて」と伝えた後にラウールがこう言った。「寂しいけどね」と。

強めに発せられたこの言葉にめちゃくちゃ救われた。自分の気持ちを正直に伝えると同時に、ファンと同じ気持ちである事実を伝えてくれたラウールは、真っすぐで、噓のつけない高校生、それでいてファンに寄り添えるアイドルだった。めちゃくちゃ寂しかったけど、その背中に一生ついて行こうと思った。

だから、その後続けて発せられた「ステップアップとして」を私はまず受け入れるべきではないかとハッとしたし、あくまで前向きな卒業だということをすぐに落とし込むことができた。もちろん感傷には浸ったけれど、うじうじはせず、思い出を振り返りながら感謝をすることができた。前述したように、スノtubeは間違いなく異国の地での生活を支えてくれたコンテンツだったので、たくさんたくさんありがとうを想った。

 

 

 

 

まぁその日の夜はね、虚無&号泣でしたけれども、案の定一週間後に個人チャンネルが開設された時はめちゃくちゃ笑ったな(笑) 

 

 

 

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デビューまでの諸々

 

その他にもMステで初披露したデビュー曲に鳥肌を立てたり、カウントダウンコンサートで”未成年のラウールだけ見学席にいてそれを迎えに行くお兄ちゃんたち”とかいうジャニーズあるあるの下りに涙したり、実際にデビューするまでにも、思い出は数えきれないほどある。

具体的な出来事や公演を見出しに取り上げて話したが、帰国からデビューまでの間には、彼ら自身以外の、つまり周りの環境の変化という意味でも本当に色々なことがあった。

 

例えば、元々Snow ManSixTONESが同時デビューすることに対して、当時はとにかく賛否両論の嵐だった。それがVSという形で、しかもデビューシングルは両A面という火種をまく売り方だったから、誰もがその未来に不安を抱き、SNS上での争いは絶えなかった。グループ同士の争いはもちろん、Snow Manに関しては、加入組(目黒、向井、ラウール)に対しての元々の6人のメンバーのファンやSixTONESファンからのアンチがひどかった。そういうのは必要以上に見ないようにするタイプの私でも、何か情報を得るためにラウールと検索に入れた時に心無い言葉が予測に出てくるのを見ると、心が痛くて、それを本人が見ているかもしれないと思ったらもっと心が痛かった。

 

 

 

さらに、この諸々の時期をはじめ、Snow Manはほぼ画面越しのコンテンツのみで、デビュー前にして、新たなファンを獲得しみるみる人気を高めていった。それに伴い、新規・古参問題がもう本当にバチバチしていて。しょうがない事だしどちらの気持ちも分かるけれど、私はこの件に関して新規側の立場にいたから、ただただ怖った。これからの彼らの活動、自分のオタ活に不安が募った。でもこれから、彼らの歴史を見届けるんだという覚悟はあったし、本当に有難いことに私の周りにはそういった厳しい言葉をかけたり態度を取ったりする人がいなかったから、直接その争いの酷さを感じることは無かった。ありがてぇ。

とはいえ毎日のようにSNSで見る争いにおびえていた私だが、のちにお話するデビューライブでのあるメンバーの言葉をきっかけに、その不安が解消されることとなる。

 

 

 

 

 

 

その他諸々の時期の個人的ニュースとしては2つある(これはガチ飛ばしてOK。笑)

 

1つは11月12日に約13年間片思い続けた二宮くんが結婚したこと。私の人生の中で大大大失恋で、冬の海で泣いた。これはSnow Manまじで関係ないから事実としてだけ書かせていただきました(笑)

 

もう1つは恐らくこのはてぶを読んでいるみなさんがフォローしてくださっている私の公式のオタ垢を12月24日に開いたこと。これまではリア垢の親しい友達でオタク関連のストーリーズをあげていたけれど、私のSnow Manの急激熱を機に、長文や病みストーリーズ、粒ストーリーズ*3での荒らしが加速していって、それが非オタの親友に申し訳なかったし実際にちょっと迷惑そうな雰囲気を感じ取っていて(笑)で、思い切ってそれ用のアカウントを作ったという話。全国のオタクと繋がる用のオタ垢とは別で、常に自己満。オタク非オタク問わず、リア友兼オタク(又はオタクに理解のあるリア友)がフォローしてくださっている小規模垢、つまり公式のオタ垢というわけである(?)

調子乗って本当に申し訳ないほど好き勝手やったり急に引くほど病んだりしてるから、ノリで教えたはいいけど多分ミュートやブロックされてるなって子が何人かいる(笑)フォローしてくださっている方は本当にいつもすみませんとありがとうございます。痺れを切らしたらいつでもフォロー解除・ブロック・ミュートしてくださいね。

 

でも真剣な話、この垢を作って本当に良かったと思っている。大げさじゃなくこの垢とみんなのおかげで少し生きやすくなったから。きっかけをくれたのはやっぱりSnow Man(ラウール)だから、アイコンはこの先もずっと寝起きで涎たらしてるラウールだと思う(笑)

 

 

 

 

 

 

*4

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2020年1月22日 デビュー

 この日、Snow ManSixTONESがついにデビューした。デビュー発表から5か月以上も経っていて、ここまで読んできたように既にそれまでに膨大な思い出があるものだから、その感謝とシンプルな「デビューおめでとう」以上に大そうなことは思わなかった。

 

でもせっかくだから特別な日にしようと思って、まずフラゲしておいたデビューシングルを日付を越えてから見た。新たな始まりをすごく感じて、今日からまたSnow Manを応援しようと思えた。

それからお姉ちゃんと後輩と私の3人でスノtubeのモーニングの回に登場していた音茶・姫へ行った。めちゃくちゃ丁寧で品数豊富なモーニング出てきてシンプルに幸福な朝だった。さらにそこのお店のママさん(明美ちゃん)と少しお話ができて楽しかった。オタクからもらった雑誌の切り抜き(?)や律儀に買ってくれたであろうクリアファイルがきれいにファイリングされていて、ジャニーズのましてや当時Jr.だった彼らのことを調べてくれたんだなと思ったら明美ちゃんのことLOVEになった。

そのあとはカラオケで8.8見ながらラウちゃんに落ちたあの日の事を振り返ったり、盛り上がったり、泣いたり、盛り上がったり、泣いたりした。ちなみにこの日はこのハテブでたびたび登場するお姉ちゃんのお誕生日なので、サプライズで嶺亜君がよく着ていたパーカーをプレゼントしたら、泣きながら7MEN侍の歌うSAMURAIにコールしてた。たまに動画見返すけれど、喜び方のクセと勢い凄すぎて毎回爆笑してしまう、これも思い出(笑)

 

 

 

ちなみにこの日上がったIsLAND TV((ジャニーズJr.が不定期に動画を更新するサービス。なんとなんと無料コンテンツになっておりますので興味のある方はYoutubeとセットでどうぞ(混ぜるな危険)(沼落ち不可避ルート)))でラウちゃんはファンの方に向けてのコメントとしてこのように言っている。

 

いつも応援ありがとうございます。今日を機にデビューさせていただきますけども、これからも今まで通り、末永く一緒に幸せな関係を築いていけたらなと、、勝手に思ってるんですけど、思ってくれら嬉しいです。

j-island.net

 

そんなこんなで楽しい一日を過ごしたわけだが、今書いていて、別に決めたわけでもないのにその次の年も、まその次の年もデビュー日は必ず8.8を見てることに気付いた。私にとってデビュー日は原点回帰・初心に戻る日なのかもしれない。色々あるけれど一旦リセットして「よし、また1年Snow Manを応援するぞ」と思い直すことができる、そういった意味で大事だなと思ったので、来年からも同じように8.8を見ようと思った。

 

 

 

 

 

2020年 Snow Man Debut Concert 2020 2D.2D. (延期・中止)

 

自分のデカ感情に自分で疲れてきてしまったので、ここからはできればササっと書きます(なんやねんって思った方、、、、、正解です)(まじでなんやねん)

 

 

2D.2D.のコンサートは、Snow Manにとっていわゆる”デビューコンサート”。

数々の現場に足を運んだ私だが、デビュー魂って他とは段違いに特別なものだという任氏があった。一生に一度しかない晴れ舞台だったので、少年たちの時以上に「絶対に行きたい」と思った。

案の定、デビューまでの期間に増えたファンの数もあってか、若い番号で入会したSnow Man名義も、情報局の該当名義(Jr名義)も全部全部外れてしまった。

少年たちの時と違ってしっかり自分の中心にSnow Manがいて、準備もしてきたからこそ、現実を受け入れる事が出来なかった。

 

結局中止になってしまうんだけれども、開催されると信じていた当時はチケット関連でお姉ちゃんと人生で一番の大喧嘩をした。...なんかまたお姉ちゃん出てきたな。

今でこそ笑い話にしているが、部屋のリビングでお互い号泣しながら「お前とは絶交だ」「縁を切る」と言い合って、終いにはただ事じゃないと様子を見に来た母を「お願いだからそんなこと言わないで仲良くして」と泣かせてしまった程。Snow Manのチケットをめぐって家族3人が大号泣する図、常人からしたら狂気的で訳わからんよなぁ。この事件があってから『自分のチケットは自分で取る』を大前提とするのが私のチケット関連の鉄則になった。結局これが一番平和だよ。

 

 

 

 

今や日常の一部となっているコロナだけど、流行り始めた当時は混乱しかなくて、先の予想が全くできなかった。アジアツアーは厳しいだろうな、と思っているうちにみるみる猛威を振うウイルスに”デビュー魂”はあっけなく消し去られ、中止。後に切り替わった配信ライブで垣間見えるその悔しさ・やるせなさを想うと、対面で華やかに行うはずだったツアーは消えてしまったと言っても過言ではないのではないか。本当に残念な事だなと思った。

 

 

コロナで使うお金の行く先が無くて、配信ライブにたくさんお金を払って見れるものは全部見た。家にスクリーンを出して、できるだけ立体音響になるようスピーカーを繋いで、友達を家に呼んで一緒に見て、配信ライブガチ勢してた。それはそれで楽しかったし、ひとつの思い出ですね。

でもまあ今同じことが起こっても配信ライブ全公演買ったりはしないと思います(笑)

 

 

 

 

ちなみに、Make it Hotから始まる配信ライブは控えめに言って最高だった。ここで一曲一曲について語るつもりはないけれど、画面越しなのに9人の熱が、想いが、痛いほど伝わる内容だった。想像していたセトリとは違ったけれど、全曲オリジナルでやり切った内容に”デビューしたSnow Man”を未熟なオタクながら感じた。配信直後はデカ感情なのに余韻が大きくて、言葉にしようにも「ありがとう」とか「最高」とかいうありきたりな言葉しか出てこなかった。

 

そして先ほどの新規古参問題の不安を救ってくれたのはここでの目黒蓮の挨拶。

 

昔から僕たちを応援してくれてるファンの皆さんは、僕たちの本当すごい...”支え”になってます。そして、最近僕たちを知って応援しようと思ってくれた人たちは、すごく僕たちの”力”になってます。この2つが僕たちを前へ前へと頑張らせてくれる原動力になってます。これからもそういう関係で入れたらすごい幸せです。

 

どちら側のオタクも救われる言葉だった、すごいな。個人的な解釈だけど、彼は金指君と同じく完全なる”努力型”の人だと思っていて、基本的には器用ではないからバラエティーやちょっとしたコメント撮りで振られた時、器用にきれいにまとめるというよりは、ゆっくりゆっくり言葉を紡ぐ人。だからこそこの言葉は対立している状況を前から認知していたうえで彼が用意してきた言葉なんだろうなって思う。

 

私はエンタメを楽しむ上で”生”をすごく大事に思っているから、できるだけその時感じた事を言葉にしてほしいと思うのだけれど、金指君を推し始めてからは、器用ではないかもしれないけど、ゆっくり考えて、想ってくれて、準備された言葉もちゃんと本音で、大切だなって思うようになった。話それたけど、この言葉も同じだと思っていて、だから私は目黒蓮が”用意する言葉”がとても好き。めめのブログ担です(笑)

 

 

 

後に放送されたRide On Timeで、対面でやるはずだったデビューコンサートのセトリからは大きく変更があった事を知った。ふっかがせっかくなら全編オリジナルでやろうよって。長くJr時代を過ごしてきた最年長の言葉は本当にすごい。数々の媒体でよくラウールが「ふっかさんは心が広い」って言うのを聞くけれど、その広い心と大きい器の上にSnow Manというグループがあるんだなと改めて感じる。

 

 

 

 

 

ササっと書くとかいいつつしっかり語ってて本当にウケるけど、私が絶対に忘れたくないラウールの挨拶だけここに残しておこう。実は1万字インタビューと配信ライブでの挨拶は定期的に見返していて、なんか気が引き締まるような気がするんだよな。私生活でもスノ担としても心が折れそうになる時たくさんあるけど見返すとなぜか元気をもらえる。自担の言葉って魔法だ。

 

 

みなさん、今日は配信見てくれてありがとうございました。4日間9公演やり切りました。本当だったらね、めちゃくちゃしんどいスケジュールっていうかセットリストだし、体力実際相当消耗されて、もう今喉も体もボロボロなんだけど、それでも全力で感情をぶつけた9公演、やり切れました。

それは一生に一度のデビューコンサートっていうのはそうだし、日ごろ支えてくれるスタッフさんとか何よりいつも応援してくれるみんなへの感謝を僕たちパフォーマンスを通して伝えたかったからです。

 

SnowManってもう最高なんですよ。

僕はSnowManに入って自分自身の考え方とかこのエンターテイメントに対する姿勢とかめちゃくちゃ変わったし、それは何より大きい背中見せてくれたメンバー8人のみんなのおかげで。そういう8人がいるからこそ今俺がこうやってパフォーマンスできてるって実感します。

 

そんな僕ですけど、たまにちょっと不器用なとこが出てボロが出ちゃったりするときがあります。もちろんね僕が何か言われているときに、僕も人間だし僕が悲しい気持ちになるのは分かる。なんだけど、よくよく考えてみると、俺のことを応援してる人がすごく悲しんでいたことも今までいっぱいあったと思う。それはちょっと、ちょっとっていうかだいぶごめん。

でも俺は絶対にスターになるんで。そういう難しい道を自分を曲げてまで避けるつもりはないしっていうか今後、今はどうか分からないけど、俺を応援する人・SnowManを応援する人が大多数になるって、絶対そう思います。

てか絶対大多数派になるんです、みんなが。

このデビューコンサートの最終日の最終公演で誓います、マジで。

 

はい、ということでちょっと長くなりましたけど、みんなのこと大好きです。愛してます。4日間見てくれたみなさん、本当にありがとうございました。

 

 

この彼の選んだ”大多数”という言葉が、私の中で響いて、ずっと忘れられなくて。だから何かお仕事が決まる度に、あの必死に言葉を振り絞る当時17歳のラウールに報告したくなる。カリスマ性の裏に強く紐づく”有言実行する力”がすでにあの頃から彼にはあって、私はとんでもなく偉大な自担を推しているんだなと、つくづく感じますね。もうそろそろこのセクション終わりますすみません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

滝沢歌舞伎ZERO The Movie

今考えると謎だけど、新橋と御園座滝沢歌舞伎の映画を見る会があって。「With コロナ」なんて言葉が定着し始めた頃だったので、とにかくエンタメに飢えてたから、生”風”かもしれないけどその場の雰囲気を感じながら見れる滝沢歌舞伎に気持ちが高揚したし、小判が降ってきたときは興奮した。2階の前列で見た時は降ってきすぎて「え...?」って引いたの覚えてる(笑)パネルにぴって指さして写真撮ったりきんつば買ったりするの、楽しかったな。

 

普通に映画館上映にもたくさん通ったけど、毎回泣いてた。大学の友達と見に行った時、仲の良いスノ担がその友達以外県内にいなかったから実はすごく楽しみにしてて、そのせいかN回目のはずなのに隣で大号泣したのを覚えてる。友達も泣いてたけど泣きすぎてごめんって言ったら「...心がきれいなんだね」って若干引きながらフォローくれたのも覚えてる(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

えー、現在2022年10月です。お察しの通りなんと、Maniaはもう終わり、円盤され、遂に次年度のLIVE TOUR「S2 Snow Labo.」が始まってしまいました。どうしても残せるだけ言葉に残しておきたくてだらだら書いてきたわけだけど、スノラボが始まったらもう強制終了するって決めてたのでもう終わり!この続きはまたいつか、書く、、かもしれない(多分書かない)もう時期が時期だから、スノマニはてぶも書かないかも、気まぐれすぎてうける(笑)

 

 

 

 

 

 

私の好きな人たちのおかげで、心の中は常に感情で溢れているけれど、それを論理的に?言葉に、落とし込んで整理するのってやっぱ難しい。あと時間ない、特に今年は。

 

今回書ききれなかったの正直悔しいけど(知らんがな)できる範囲でいいから気が向いたら、整理したいと思ったら、つらつらだらだら書いてゆきます、はい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

*1:見たら軽率に沼ってしまうYoutubeの危険性を知っているのでむやみやたらと見ないようにしている。尚トラtubeも4.5本ほど見たところで「あ、なんかいかんわ」と思い、それからシャッフルで流れてくるやつ以外意図的に見ていない。トラ担の方読んでたらごめんなさい。でもそれくらいYoutubeは誰でも容易に落ちることの出来る沼ルートなのである。危険だ。

*2:この頃はグッズがオンラインで買えなかったから、会場に行かないと手に入らなかった。コロナを機に行けない人もグッズが買えるようになったのってまじでありがたいよね。

*3:ストーリーズ投稿しすぎて上のバーの区切りがえぐい事になやつを私が勝手にそう呼んでいる

*4:実はこの前に、素顔4(雪Man in the show)の見出しを設けて話そうと思ったが、あのコンサートには単体で語りたい事が山ほどあるから、また気が向いたら別の機会に書こうと思う。渡辺翔太の「ディアハイヒール」に衝撃を受けて、私の中でプチ革命が起きた事だけはここに記載しておこう。

愛に溢れた推しが21歳になった話。

記念すべき私のはてぶデビューは、奏くんのお誕生日投稿になるようで、、

しかも1日跨ぐという何とも中途半端な。

(現在9月3日、深夜。)

 

 

 

 

ずっとずっと始めようと思って2年経ってしまったHatena Blogをついに始める程に今日は、自分の中から湧き出る熱い何かがあったので、語彙力無いなりにその「何か」を言葉にしようと思う。

 

恐らくこの先、何度も同じことを言うことになるが、「推しが生まれた日は自分が生まれた日よりも尊くて、大切で、特別な日」だと感じている。もちろん親には感謝しているけれど、「〇年前の今日あなたが生まれたんだよ」と言われるよりも「〇年前の今日あなたの大切な人が生まれたんだよ」と言われる方が、私の胸は熱くなるのだ。

 

 

 

 

前置きはこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

21年前の今日、松井奏くんが生まれた。

0:00になった瞬間、#あらみなの日 #松井奏誕生祭のハッシュタグと共に、奏くんの誕生日を祝う言葉、奏くんへの愛と感謝を述べた言葉が一気に目に飛び込んできた。そしてそれらの全てに誰かの想いが込められていた。

溢れんばかりの愛に、奏くんのために用意していた動画をアップロードする手が止まり、同じく用意していた祝いと感謝の言葉を失ってしまった。代わりに目からは、ぽろぽろと涙が溢れて止まらなかった。

 

 

何を言おう、松井奏くんの好きなところは?という質問に、私がいつも1番に挙げるのが「愛され力」なのだ。あの瞬間、大好きなその「愛され力」は可視化され、私はこの目でそれらを見た。人は愛を体感すると、涙が出るんだね。

 

 

 

 

 

奏くんに出会い、誕生日を祝うようになったのはたった2年前の事だけれど、あの頃から確実に、彼から放たれる愛の輪は広がっている。去年と比べて、たくさんの人が彼のことを、愛を持って祝ってくれている。

 

 

 

 

大きく変わったのは「IMPACTors 」というグループが出来たこと、奏くんの周りに6人もの心強いお兄ちゃん達が出来たことだろう。6人のファンだった方が彼のことを「メンバー」として祝ってくれているのをたくさん見た。

こういった人のつながりだとか、愛の連鎖が見えるたびに、私の胸はキラキラ輝く。なんて素敵なんだと。

 

 

 

数あるアイドルの中でも特に、松井奏くんは「愛を持って生きること」のすばらしさを教えてくれる。そういえば彼を好きになったのも、年齢関係なく周りの人に愛を振りまく姿に、この子の周りはなんだかキラキラしてるなと感じたのがきっかけだった。

 

 

 

アイドルをよく「キラキラ」と表現するけれど、奏くんが持つキラキラはまさに「人を愛すること」に起因している。

0:00のTLを見て、彼が体現してきた「キラキラ」が、間違いなく多くの人を幸せにしていたんだと気づいた時、涙が溢れたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

20歳を超えてから、日々の生活に輝きを見つけられるほど、自分に余裕が無くなってしまったなと感じる。でも、アイドルを本気で追いかけていると、自分の中のポジティブな感情が消える事は決して無いし、「ワクワク」「ドキドキ」「トキメキ」が死なない。私が数あるアイドルの中から見つけた松井奏くんは、これらの感情をくれる素晴らしい推しの1人なんだ。

 

 

 

 

 

 

つい先週まで開催されていたSummer Paradise 2021で奏くんがこう言った、「全部PINKyのおかげです。少しは恩返しできているかな」と。こんなにも人に愛を配っている彼なのに、見返りどころか、"恩返しだ"と言って私たちにまだ何かを与えようとしている。

つまり、私の彼への応援は、それを受けとり、認め、そしてまた彼に返すことなんだと思う。

 

 

 

 

 

 

 

ようやく涙が止まった後、ふわふわした頭を整理しながら、そんなことを思って、ブログを書いて、これからも応援し続けようと決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

松井奏くん、21歳のお誕生日おめでとう。

 

生まれてきてくれてありがとう。

 

愛に溢れたあなたの22年目が、より「キラキラ」輝くことを、切に願っています。

(9/2/2021)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.①泣いて寝て起きたら夕方で(おい)、用意していた動画をそれなりに言語化された私の想いと共に各SNSに投稿した。それから、奏くんからのドTVを待っていたけれど、あがること無く9月3日を迎えた。諦めてはてぶ始めた。(今ココ)

 

p.s.②完全に自己満だし、語彙力は相変わらずだし、ポエマーかよってぐらい感傷に浸ってる、そんなブログになると思いますが、これから少ずつ、気が向いたらという感じで、マイペースに書いていきたいと思います。